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14 October 2006, Moscow, Russia
Premiere
当日の様子→on You Tube

ずっとこの公演を待ちわびていました。ロシアはバレエやシンクロなどでも有名なので、きっとロシアMMでのダンスは凄いだろうと期待していました。入国ビザを取得するのに1ヶ月以上掛かってしまいましたが、チケットに関してはモスクワ在住のロシア人の女性とコンタクトを取って手にする事が出来ました。まだ少し不安はありました。先日のマドンナのコンサートは、当日になって日程や会場まで変更になるという大混乱だったそうですから。そして、帰国後に知った事ですが、このロシアMMのプロデューサーはあの数年前の悲劇「モスクワ劇場占拠事件」となってしまった『ノルド・オスト』の監督さんなのです。あいにく天候は雨でしたが、無事に観劇することが出来るようです。


会場の周りにはいつものように、元ABBAのメンバーが現れるのを待って沢山のファンが待っていました。ヨーロッパ人もやはり入国ビザが必要なのもあって、普段よりは少ない数のファンでした。レッド・カーペットの代わりにとても綺麗な青色のカーペットが敷かれていました。



勿論、私もビョルンに会えるんじゃないかと期待していました。厳重な警備には驚きました。セレブが大勢歩くカーペットを歩いて行くのには恥ずかしく抵抗があって、警察官に訊いてすぐドアから入場し、金属探知機をくぐった後ドアの向こう側で待つ事にしました。




ビョルンに大阪マンマの現状を伝え、いうものように来日のお願いをしました。もちろん行くよといつものように優しいお言葉。無理な状況なのは分かっているのですが。フリーダが来るという噂は聞いていたのですが、もう開演10分前なので諦めて席に座りました。会場の中はとても広くトイレなどは地下の奥に大きなスペースがあり、本当に迷子になりそうでした。迷子といえば、前日空港から市内に来るのに数時間も掛かってしまいました。空港からメトロ(ロシアでは地下鉄をメトロと聞かないと誰も意味が判りません。ましては英語を殆ど使わずに単に”メトロ?”と問いかけると指をさして教えてくれます)までタクシーか乗り合いバスしかありませんし、道も整備されず渋滞も凄く、深夜までに中心部へ辿り着けるか心配でした。会場の広さと反してステージは狭くて少しガッカリしました。とは言っても通常の大きさなのですが、もしかしたらオランダのステージのように横に長いのかと期待していました。もう公演時間を10分過ぎています。会場から拍手が!。フリーダがドアから入ってきて私の居た列の3列後ろの12列目にあるVIPシートに向かっていました。何度も後ろを振り返るのが恥ずかしいので出来なかったのですが、どの辺りに座ったのか気になって仕方がありませんでした。やっと舞台が始まりました。色々と比較できるパフォーマンスが見つかり刺激がありました。(詳しくは英語のページへ)一番期待したのは”Money Money Money”です。当時、社会主義なのにこの曲がヒットしたというニュースが忘れられませんでした。


休憩時間にVIPシートの近くに集まって皆でフリーダが来るのを待っていました。勿論会えなかったのですが、他のABBAファンやスタッフの人達と色々な話をして過ごしました。上海のMMにも勿論来るんでしょう?と言われ嬉しかった。やっぱり噂は本当だったのですね。(この日はまだ公表しないでと言われ、数日経ったのでこの日本語ページを書くにあたって表記しました)何度目の再会になるのでしょうか、パフォーマンスの神様ポールさん!、私の着物姿の写真を早く送ってくださいな。


私の席の周りは有名な人ばかりで(私にはさっぱりどんな人物か分からなかったけれど)、名刺交換の場面では静かな人達だな〜と思っていましたが、公演中はエキサイトしっぱなし。一曲毎に皆で大きな拍手と共に歓声を飛ばしました。特に隣にいたアメリカ女性(この女性がアメリカ人とは知りませんでした。英語が話せたのでずっと喋っていたのですが、翌日この女性が私にとって女神様となった)は、カーテンコールの際に私を椅子の上に立たせ隣に立ってデジカメ撮影の手助けしてくれたり一緒に叫んでくれたり。私の居たシートは皆が一体となって盛り上がっていました。本当にこの人達もこの公演をかなり楽しみにしていたそうです。勿論この列ばかりではなく客席一面が興奮状態になって盛り上がり無事に公演が終わりました。


カーテンコールで、『忘れられない一夜になった』とビョルン。フリーダもステージに上がりCATHERINE JOHNSONの誕生日を祝って会場一体になってHAPPY BIRTHDAY TO YOUを歌いました。彼女のお陰で私はMMを通して色々な国の友達の輪を広げることが出来たのです。本当に有難う、そして、お誕生日おめでとうございます。










15 October 2006, Moscow, Russia

ちょっとした観光へ行こうよ、と2人のロシア人ABBAファンが翌日ホテルまで来てくれて、それがとんでもない事になりました。いつも海外MM観劇をしても時間的に余裕がなく、というよりMM観賞だけが目的だけなのであえて観光はしてないのですが。赤の広場くらいは見たいなと思って興奮しました。しかし、「ねえ、フリーダがもう直ぐチェックアウトするけど、観光とフリーダどっちがいい?決めるのはアナタだよ!」。これが凄い事に・・・。ホテルのロビーでは丁度フリーダがチェックアウトを終えて沢山の荷物をポーターに準備させ外の車を待たせていたところ。このままホテルを出て行ってしまうところ。他にファンらしき人は女性一人しか居ませんでした。やはり話しかけようか迷っていた様子。「今しかチャンス無いわよ、話しかけましょう?」と振り返ると彼ら2人は居ない。え?嘘、2人とも『ホテルでファンが待ち伏せしているのは好きじゃない』というフリーダの言葉を思い出して逃げてしまってた。”Hello, Frida”と私。彼女は驚いて私を見るなり近づいてきて、 "Are you --- 少し忘れた --- Japanese who saw Mamma Mia more than 200 times?.". 突然そんな事を言われワタシ ハ アナタ ノ ファン デス と言い忘れ "How do you know that?. Oh Frida, is this a dream?."と問いかけると、彼女、 "--- 少し忘れた --- remember American girl?."、、、アメリカ人の女の子?。そう言われて思い出した私。そして分かりました。昨夜隣だった女性がアメリカ人で、フリーダは彼女から私の話を聞いていて、公演後に私を探していてくれたんだって(私といえば、プログラムを買いたくてずっとウロウロしてしまっていた)!。彼女達の関係を聞くのを忘れていたけれど、あの女性のお陰で話が出来た!。フリーダに他のロシア人ファンもここへ来ているので、と待ってもらい、写真を撮ったり会話をしたり信じられない時を過ごす事が出来ました。私よりもっともっとマンマミーアを見ている人は日本に沢山居るし、日本のABBAファンは今でも元ABBAメンバーが来日する事を願っているのですよ、と。前回と違い今回は沢山話をする時間があったのに、また自分自身をアピールするのを忘れてしまい少し後悔しましたが、少しでも日本やファンの存在を思い出してくれたら!、と思いました。噂には聞いていましたけど、こんなにフリーダが優しいとは正直思っていなかったのです。ビッグスターの元メンバーがクルーを待たせ時間を割いて、ファン達とこんなに密接に話をしているのですよ。やっぱり夢みているのかなって。



ロシアのABBAファンはとても礼儀正しくて静か。突然現れた私にとても親切で色々と良くしてくれました。フリーダに会った後とてもとても凍えるような夜なのに色々な場所に案内してくれて。ロシアのイメージが全く変わったのは言うまでもありません。日本人の私をとても大切にしてくれました。Now I miss them.






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